中学生の差別観
中学部社会科の「人権」の単元で、生徒たちに次のような問いを出しました。
【問い】
肌の色で人種差別されることがあります。ある授業の中で、日本人も有色人種として差別を受けてきたことを紹介すると、ある生徒が「私は黒くないから大丈夫」と答えました。これについてあなたの考えと私たちの差別についてのあるべき意識を書きなさい。
いろいろな解答が寄せられました。
●自分は黒くなくても、相対的に黒い人を区別するから差別につながる。
●白人だって、白いといっても色がついている。
●差別を心に思っても、それにつながる発言に気をつけるべきだ。
という肌の色の違いによる区別を容認し、それを基準とした考え方
●戦争で勝ったから敗戦国を軽視したのではないか
という、肌の色以外の基準にその要因を探ろうとする考え方
●他人事で考えているから差別がなくならない。
という当事者意識の欠落を原因とする考え方
●差別をなくすのは無理だから仕方がない。
という、差別を半ば容認する考え方
ざっと挙げただけでもさまざまな考えがあふれ出て
「人が生まれながらにして自由で平等」という自然権のマインド
は、教科書でその権利の意味を伝えるだけでは伝わりにくいことが浮き彫りとなりました。もちろん
「人間に対する見方に、肌の色はその基準にならない」
という私が期待した解答も多く、
中には、特別支援が必要な生徒たちに対して身近なところで起きている
人間差別の問題を引き合いに出して、平等の必要性を訴える答えも得られました。
人に対して平等な視点をもつということは、命という視点でものを考えること。
その視点を持ちながら
■内心の問題
つまり、差別意識を心の中に抱いてしまうことにどのように対処するかという問題と
■理性の問題
つまり、抱いてしまった差別意識を社会的な理性でどのように対処するかという問題
の二つの段階で取り組む必要があるようです。
公民の学習の中でもっとも大切なことは、
用語や内容を教えることではなく、社会的マインドをきちんと理解させ、それが応用されている社会のルールを考察すること
だと思います。
ポジティブな側面、ネガティブな側面、物事には2面性がいつもつきものですが
基準を明確にして、客観的に思考をはたらかせていくように
学んでいきたいと思います。
( 綾部 宏明 / あやべ ひろあき )