【読書感想文】「夏のとびら」(あかね書房)を読んで(小学生向け:2200字)

「近すぎて、わからない。」
~「夏のとびら」(あかね書房)を読んで~

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気づいたら涙があふれていた。これにはさすがに、自分自身でも意外だった。 
この感動は、いったいなんなのだろう?
「夏のとびら」はみんなで選んだ読書作文用の課題図書。図書紹介文によると、小学6年生の女の子が主人公ということで、素材も身近でなんだか読みやすそう。おそらくみんなが賛成した理由はこの辺りにあるのだろう。
 しかし、読みすすめていくうちに大きかった期待は次第に不安へと変わっていった。

「もしかすると、これは凡作かもしれない。」

なかなか胸の鼓動が高まらない。作文が進まずにみんなが右往左往する惨状が頭をよぎった。

 主人公の麻也は、仲のよい友だちと大好きなバスケットボールにはげむ小学6年生の女の子。中学に行ってもみんなといっしょにバスケを続けたいという理由で、私立中学受験はしないことを決めた。その代わりに勉強はしっかりやると約束し塾へ通う。純粋にみんなといっしょにバスケがやりたいのだ。
 ところが、3歳年上の兄が中学の友人谷川といっしょに非行を企て、警察の厄介になることに。これをきっかけとなり、麻也の家庭には亀裂が走った。兄は3年前、中学受験に失敗した過去をもつ。
 父親は、自分で会社を切り盛りしてきた中小企業の社長だ。なんでも頭ごなしに決め付ける。もちろん、兄が引き起こしたこの事件でも、非行少年のレッテルを貼られた谷川に責任のすべてを押し付けた。本当は、自分の息子がやったことなのに。
 母親は、いつも父親の判断に頼りっきり。子どもたちの気持ちよりも世間体を気にする。まるで社会的な評判が幸せのレベルを格付けするかのように。兄の事件でうろたえた母親の姿は兄妹に大きな失望を与えてしまう。
 家族のバラバラな価値観は、家族の溝をますます拡げていった。兄は家族と会話をすることをやめ、不安に覆われた麻也は、毎夜悪夢にうなされる。不安のあまり麻也は、大好きだったバスケの練習にも行くことができない。あれだけ仲のよかったチームメートとの人間関係も壊れていく。チームも影響を受けてガタガタにくずれていく。
あまりのだらしなさに、登場人物一人ひとりに対して次々と注文がわきあがってくる。

 気に入らないからといって怒鳴っていうことを聞かせようとしないでください。
子どものご機嫌をとるために甘やかせてばかりではいけません。
しっかりと親の役目を果たしましょう。
親に甘えてウジウジしない。
いいたいことが言えないからといって、物に当たるな。
やるべきことはしっかりやって、胸を張って自分の意見をいいなさい。
ほかの人はほかの人、自分は自分。家族がどうあれ、自分のやるべきことをちゃんとやりなさい。
自分の都合でふらふらすることは周りの人にとっても迷惑なことなのだから。

安っぽいホームドラマのようなシナリオに、もどかしさや怒りさえ覚えていた。感想文を創ることを思い出すと緊張感が募る。果たしてこれで書けるのか?

ところが、「ママからの手紙」のページをめくると、そんな不安や緊張感はいっきに吹き飛んだ。こういうことだったのか。それまでの退屈なストーリーは、本当は構成上の演出だったのではないかと疑ってしまう。

あれほどいつも家族のご機嫌をうかがい、自分ではなにもできなかった母親が、今までの自分を悔い改め、子どもの許しを乞うように心のこもった手紙を贈ったのだ。とても勇気のある判断と行動。失われかけている家族のきずなをなんとか修復しよう、そして、家族がバラバラにこわれていくのを少しでも食い止めよう、そんな母の必死さがひしひしと伝わってきた。素直でひたむきな母の姿に心が動かされたと思う。優柔不断だった母親は豹変し、ありったけの力強さをわずか数行の手紙にしたためた。この行動が麻也に対して親子のつながりを強烈に再認識させたのはいうまでもない。

「幸せな家庭とはどんな家庭なのだろうか?」

あらためて思う。
たしかに、経済的な豊かさや社会的な評価は見えやすい。家族それぞれが幸せになるような家庭をつくっていくはずなのに、ついつい周りから見て幸せに映る家庭をつくろうとしてしまう。そんな、どんな家庭も陥りやすい危険性をこの物語は警告している。家族の幸せとは何なのか。やりたいことをやることが必ずしもそうでないことはわかっている。甘えあったり、傷をなめあったりすることでもない。家族の幸せのために、それぞれが力を合わせながら自分の役割をしっかり果たしていく。そのような家庭のあるべき姿をほのめかしているのではないか。

「近すぎて、わからない。」

この物語は家族や友人関係が持つ盲点も指摘してくれた。身近な存在であるほど、お互いが分かり合えないものだ。もしかすると、分かり合えていると過信しているだけかもしれない。もっと話し合えばいいのでは・・・。言葉では簡単に語れるけれど、自分に置き換えてみるとその問題の奥深さは身にしみてわかる。

家族のコミュニケーションが、必要最小限の伝達のやり取りにとどまってはいないか。話してもムダだとあきらめてはいないか。何かを相談することが「やぶ蛇」になることを恐れていないか。照れくささはないか。

身近な人間ほど素直になれず、なかなか本音を伝えることができない。分かってくれているという甘えもあるだろう。勇気をもって本音を伝えようとすることはもちろん大切だけれど、本音を伝えにくい分、いつも相手を認め、深く思いやろうとするこころこそが、もっと大切なのではなかろうか。家族、血のつながり、『運命共同体』みたいなもん。奥が深いが、見失わないように心がけたい。


平成20年8月4日
アチーブ進学会
綾部 宏明 (あやべひろあき)

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